KAGURAZAKA・想い
今回訪ねたのは創業75年を迎える器(うつわ)のお店「陶柿園(とうしえん)」の二代目店主・舘林順生さん。
おしゃれなデザインで人気の陶磁器・波佐見焼で知られる長崎県波佐見町の出身で、店内にある陶器の7割以上が波佐見焼が並んでおり、その普及にも力を注ぐ順生さんの陶磁器やガラス製品への想い、商売への想い、そして“神楽坂愛”を順生さんにお聞きしました。
十三代酒田柿右衛門とのご縁で名付けた
「陶柿園」
戦後間もない1948年(昭和23年)、佐賀県有田町出身の初代・舘林多久次さんが現在地で創業。店名の「陶柿園」は、赤絵磁器を代表する「柿右衛門」の窯元“十三代酒井田柿右衛門”と初代・多久次さんが幼馴染みであったご縁から名付けたとのことです。
店内2階売場には、先代が仕入れた十二代酒井田柿右衛門の菓子鉢、ノリタケの天女像他、貴重な品が多数展示されていました。
1972年(昭和47年)に現在のビルに建替えた5年後、二代目・舘林順生さん夫婦が後継者となります。初代・多久次さんご夫妻に後継者がいなかったことで長崎県波佐見町の窯元「一龍陶苑」の三男・順生さん夫婦が養子に入り、陶柿園を継ぐことになったのです。
初めの頃は、縁もゆかりもない神楽坂で商売をすることが少し不安だったと話す順生さん。
時代の流れの中で景気がいい時もあれば悪いときもありましたが、46年間ここ神楽坂で、楽しく商売を続けてこられたのは、地元の方々、故郷の方々の支えがあってのことと振り返っていました。
初代から受け継ぐ、
常に新しいことに挑戦する精神
順生さんがお店を継ぐ以前は、毎月定期的に異なる商品を会員に届ける頒布会(はんぷかい)による商売方法が主流でした。しかし、時代とともに頒布会のような定期的な販売のニーズが低下、顧客離れにより売り上げが激減したのです。当時、経費が掛かる数万枚の新聞折込チラシに頼っていた頒布会主力の同業者はほとんど倒産してしまいました。
こうした現状を打開するために順生さんは、店頭販売による小売に力を注ぐことを決断したのでした。
その後、試行錯誤を繰り返しながらも少しずつ商売が軌道にのってきた1977年(昭和52年)、頃にガラス製品の問屋さんに復刻版の薩摩切子を紹介され「切子」販売をはじめました。
これが、今でもロングセラー商品として売上に貢献する“江戸切子”につながっていきました。今では一階売場奥の江戸切子コーナーは都内屈指の品揃えということです。
窯元の生まれである順生さんにとって、陶器の仕入れには自信があったものの、ガラス製品を仕入れることには迷いや心配があったといいます。
そんな順生さんの背を押したのが、“店の事はすべて任せる”という初代・多久次さんの言葉でした。その後押しに報いられるよう、ガラス製品の販売にも真摯に取り組んだ結果、徐々に成果を得ることができたと語る順生さんの自信に満ちた横顔がとても印象的でした。
現在、三代目・和信さん(順生さんの長男)夫婦と3人でお店を運営しています。
自分の時と同じように、息子にも新しいことに挑戦して欲しいと考える順生さんは、和信さんの意見を取り入れて新しい商品を店頭に並べたり、今、流行りのサウナグッズコーナーを設けるなど、新しい店づくりを親子で進めております。
新商品をどう陳列するか、陶器でもガラス器でもない商品をどうアピールするか、家族であれこれ考える時間はとても楽しいと順生さんは話します。
神楽坂の若い後継者世代を支え、
応援していきたい
最近は、流通販路の変化で商売が難しいと感じる日々です、と順生さん。メーカー・問屋がオンラインショッピングに力を入れるようになり、さらに無印良品、ニトリなどは100円ショップとは違いシンプルで質が良いうえ、若い世代に合う商材を揃えており、小売店はより厳しい状況が続いています。
神楽坂でも物販店が少なくなり飲食店が多くなってきています。物販でもドラッグストアのチェーン店やコンビニエンスストアが多くなることで、神楽坂の街の雰囲気が失われていくのではないかと不安を感じる方達もいます。
多くの小売店は後継者問題を抱え、惜しまれながらも閉店しているのが事実です。
これからの時代を担う若い後継者が、神楽坂で安心して商売が続けられるよう、私たちがしっかりと支え、応援していきたいと語る順生さん。
ここ神楽坂で意地とプライドを持って商売を続けて欲しい。
そしてこの良き神楽坂の街のあかりを消さないで欲しいと心から願うばかりと話していました。
舘林 順生さん
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