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KAGURAZAKA・想い

第4回 神楽坂店主リレー取材

助六らしさも、神楽坂らしさも、次の世代へ残していきたい。

老舗 助六
三代目
石井 要吉さん

4回目となる今回、うなぎ割烹「かぐら坂 志満金」の6代目店主 加藤正さんより店主リレーバトンを引き継いでいただくのは、“老舗 助六”の3代目店主 石井要吉さんです。

明治43年、1910年にここ神楽坂で創業した老舗 助六。108年目を迎える現在は3代目店主の石井要吉さんが伝統の看板を守っています。創作履物、下駄、袋物、傘など和装の小物を豊富に取り揃え、地元の方から観光客、芸者衆、伝統芸能のお師匠さん方、さらには時代を彩る作家、詩人、画家など多くの著名人までが足繁く通ったという名店。今なおテレビや雑誌の取材が絶えないほど人気を博しています。

3代目として老舗の暖簾を守る。

初代店主の時代から受け継がれているレジスター。空襲で逃げる際に持ち出したお陰で今も残っているのだとか。

ーお世話になっています、東京平版です。以前から一度お店に伺ってみたいと思っており、この度とうとう念願が叶いました。ぜひお店や街の歴史などお話しを伺いたいのですが、まずは創業当初のことから聞かせていただけますか?

〈石井さん〉明治43年の創業なので今年で108年目ですが、父が95歳まで存命だったこともあって私で三代目になります。

ー お父様ずいぶんと長生きされたんですね!

〈石井さん〉男性としては長生きですよね。この神楽坂には創業者である祖父の代から住み続けています。うちだけでなく、この界隈のお店はビル化されたところでも店舗の上のフロアに居を構えている方が多いように思います。

地元住民で街づくりの組織を設立。

ー神楽坂は職住一致のお店が多いので、街への思い入れも強いように感じますね。

〈石井さん〉その通りですね。神楽坂は新宿区の中でも街づくりには飛び抜けて熱心な地域です。そのきっかけとなったのは、昭和から平成に変わる頃に神楽坂エリアが新宿区の「街づくり推進地区」に指定されたことでした。そこで街づくりの組織をつくろうということになり、地元の皆さんで「街づくりの会」を発足したんです。今はさらに進化した組織へ改編されていますが、以来30年の長きにわたり、新宿区や近隣の東京理科大学、法政大学さんのご尽力もあって神楽坂らしさを大切にした街づくりを進めているところです。

ーできるだけ神楽坂の伝統的な街並みを残した街づくりをしていこうということですよね。

〈石井さん〉ええ、神楽坂は新宿区という都心区にありながら、料亭や花柳界があったこともあり、今なお伝統的な風情が残されています。ですが、その江戸の風情も昭和20年の空襲で、一度はすべて焼けてしまったわけですよね。近隣で焼けずに残ったのは、鉄筋コンクリートで建設されていた佃小学校だけだったそうです。

ー木造住宅が中心だった時代ですから、石井さんのご自宅も燃えてしまったんでしょうか?

〈石井さん〉そうですね。ですから戦後またこの地へ戻り、家を建て直したそうです。ただ、神楽坂の凄いところは、建て直す際もそれぞれの住人が元の道に沿って建物を建てたんです。だから当時の古地図と比べて、この界隈の路地の形状はほとんど変わっていないんですよ。早い者勝ちで土地を奪い取れるような時代にあって、この街の人たちは不作法はせず、マナーを守って街の再建をはかったんですね。今の神楽坂の伝統や風情は、そうやってゼロからつくり直されたものなんです。

大学卒業後、修行の道を選択。

鼻緒をすげる作業風景。お客さまの足は長さも幅も、甲の厚みも人それぞれ。ひとりひとりに合わせて調整するのは、左手に感じる圧力だけが頼りでマニュアル化はできないとのこと。

ー だから戦後も街並みが変わらずここまで賑やかな街へ発展してきたわけですね。石井さんは子どもの頃から神楽坂育ちということですが、学校もずっと地元だったんでしょうか?

〈石井さん〉小学校は先ほどの津久戸小学校ですが、中学・高校は麻布へ通っていました(笑)。大学は慶応の法学部へ・・・。

ー 素晴らしいですね!どうしてお店を継ぐことになったんですか?他にもいろいろな選択肢があったと思うのですが、お父様のご意志でしょうか?

〈石井さん〉両親から継いでほしいと言われたことは一度もありませんでしたね。ただ「父の代で終わらせてしまうのは申し訳ないなぁ」という気持ちはずっとあったんです。なので卒業後は小田原の方のお店へ住み込みで修業に出ました。例えば、草履や下駄に鼻緒を付けることを「鼻緒をすげる」といいますが、そうした作業にしても自分だけで身につけることはできません。父に教わることもできましたが、身内だとお互いやりづらいこともありますから。

私にも子どもがいますが、店を継いでくれと言うつもりはないです。私自身も言われませんでしたし、伝統的な商売なので簡単なものでもないですしね。

ー 伝統を受け継ぐにあたって、今でも大切にしている教えや家訓などはありますか?

〈石井さん〉祖父も父も、子どもに人生訓を授けるようなタイプではなかったですね。ただ、父の働く姿を見ていて、助六ブランドを傷つけてはいけないと考えているんだろうなということは感じていました。ですからそこは私も大切にしています。

父は愚痴も言わず、真面目に仕事一筋な人でした。私と違って(笑)。ですが唯一似ていたのは、生まれ育った神楽坂が好きということです。私が今、街づくりに関わっているのも神楽坂らしさを残していきたいからですし、同じように店に対しても助六らしさを残していかなければと考えています。その意味で街づくりと経営には相通ずるものがありますね。どちらも、時代とともに変わって良いものと、変わってはいけないものの線引きが大切なのだと感じています。

助六らしさをオリジナル品で表現。

店内には履物や袋物、女性が使う細身の蛇の目、男性用の太い番傘などがズラリ。日本の職人さんが作るビーズのバッグは海外物とは品質が違うといいます。

ー 助六さんで取り扱われている品物はどれも素敵ですね。これはオリジナルなんですか?

〈石井さん〉すべてオリジナルで作っています。今は和装の小物屋って銀座などでも減っていて、残っているお店でも仕入れ物を扱っているケースが多く見受けられます。もちろんその方がリスクは低いのですが、このご時世に和装をしている方というのは、その人なりのポリシーを持ってらっしゃる方が多いものです。人と同じ物はあまり好まれませんから、うちは職人さんにお願いしてオリジナルにこだわっています。

定番や流行り物も取り揃えていますがそれだけでは飽きられてしまいますので、草履の鼻緒なども全部生地から見立てられる、この台にこの鼻緒・・・という具合に、お客さまのご要望を叶えられるようにしているんです。その一つ一つに、私の思う助六らしさを出していけたらと思っています。

店の内外に遺る父・祖父の思い。

歌舞伎の小道具の草履

ー こちらに飾られている履物は?

〈石井さん〉歌舞伎の小道具で、祖父が職人さんに作ってもらったものです。といっても歌舞伎座さんに納めていたわけではなく、お稽古事などに入れ込んでいた祖父が個人的に所有していただけみたいです。もう70〜80年くらい前の物だと思います。花魁道中で履かれるぽっくりもあります。これも職人さんに作ってもらったようです。どちらも実際に使われたわけではないようですが、よほど大切にしていたのか、空襲のときにはレジスターだけでなくこれらまで持って逃げたって聞いています(笑)。

祖父は相当歌舞伎に入れ込んでいたようで、景気のいい頃は歌舞伎座に仲間と一緒に緞帳を寄贈したなんて話もあります。よく身上を潰さなかったなと思いますよね(笑)。

石を敷き詰めたような店内の延段。

ー この石畳のようなものは?やはり神楽坂の街並みを意識して敷かれているんですか?

〈石井さん〉いえいえ、これは裏の坪庭に誘導するための通路なんです。坪庭だけはどうしても残してほしいという父の遺志を尊重し、この通路とともに今も大切にしています。坪庭の奥の木戸は本来白木だったんですが、酔っ払いに壊されてしまって今はアルミで代用しています(笑)。

ー 坪庭も風情があって贅沢ですね。奥の木戸の先が別邸鳥茶屋さんへつながっているというのも、神楽坂らしい路地裏の情緒を感じます。

神楽坂らしさを、後世まで、ずっと。

ー 店主として、住民として、神楽坂を長年見守ってこられた石井さんから見て、街の雰囲気や客層など変わってきたと感じていることはありますか?

〈石井さん〉昭和40〜50年頃と比べてもずいぶん変わりましたが、特に私の父たちの若い頃・・・戦前から戦時色の濃くなる昭和10年代前半くらいは神楽坂の全盛時代ともいうような賑わいだったそうです。今も観光客などで人は多いですが、こんなものではなかったみたいですよ。ほおづき市のときなどは坂下から坂上まで道の両端にズラーッと屋台を並べてホコ天状態にしたり。当時はちょっと横に入れば演芸場や寄席もあったし、花柳界もありましたから。浅草六区と肩を並べるほどだったと父から聞いたことがあります。

かつての「銀ブラ」のように、東京の名所の一つとして全国から東京観光に来られたお客さまが訪れていたとか。

ー 戦後もずっと賑わっていたわけではなかったんですか?

〈石井さん〉私の子どもの頃は、神楽坂というとマイナスイメージを持たれる時期もありました。花柳界のある街という印象が今よりも特別視されていたんでしょうね。ですが後に、「街づくり推進地区」に指定され、住民が街づくりに積極的に加わるようになり、さらに10年ほど前に倉本聰さんのドラマの放送などもあって、また少しずつ脚光を浴びるようになってきたんです。そのドラマは神楽坂の料亭を舞台にしたものでしたが、現在、街づくりに関わっている私たちも料亭や花柳界のある路地裏界隈の街並みなどはできる限り後世に残し、将来にわたって神楽坂らしさを継承していきたいと思い、活動しているところです。

自転車が趣味で複数台所有している石井さん。色違いのタイプを奥様へプレゼントされたこともあるといいます。「祖父は着物で自転車に乗っていましたよ」なんておどけながら、ご自身も先日自慢のロードレーサーで川越まで走ってきたというから驚きです。和服姿の真摯な佇まいからは想像も付かないエピソードに、最後まで笑顔の絶えない東京平版でした。

次回は「神楽坂銘茶 楽山」さんへバトンを繋ぎます。
神楽坂の様々なお店で使われている楽山さんのお茶。面白いお話が聞けそうです。次回もどうぞお楽しみに!

老舗 助六

〒162-0825 東京都新宿区神楽坂3-6
電話:03-3260-0015
FAX:03-3260-4414
URL:http://sukeroku.in/

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