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KAGURAZAKA・想い

第2回 神楽坂店主リレー取材

恩・義理を忘れない。それが商売。

相馬屋源四郎商店
十一代目
長妻 直哉さん

神楽坂の粋な店主に会いたい。
聞かせてもらいたい、街への想い、人への想い、生業への“想い”。
そして店主から店主へ、“想い”のバトンを繋いだら、
神楽坂の魅力にもっと触れることができるかもしれない・・・
そんな東京平版の“想い”から始まった新連載。

2回目となる今回、毘沙門せんべい福屋の店主、福井清一郎さんより店主リレーバトンを引き継いでいただくのは、“相馬屋源四郎商店”の11代目店主 長妻直哉さんです。

創業350年以上、江戸時代より続く老舗文房具店。西洋紙の原稿用紙発祥の店として知られ、その原稿用紙は夏目漱石、北原白秋、石川啄木、坪内逍遥など多くの文豪に愛されてきました。古く長く神楽坂の歴史を知る11代目店主の“想い”にクローズアップします。

創業350年を超える紙文化

ーお世話になっています、東京平版です。改めて相馬屋さん350年以上の歴史に驚きます。江戸時代初期からずっと途切れることなく営んでいらしたということですよね。

〈長妻さん〉私みたいに生まれた頃からここにいるとそんな大そうな意識もないものですが、確かに歴史は古いですね。350年以上続く商売はなかなかありません。近くの光照寺の過去帳に法事を行ったという記述があります。それが1650年頃ですので、今から350年以上前より神楽坂のこの場所で商売をしていたことになります。なにしろ江戸時代のことなので、今みたいな法務省のしっかりした登記もなくみんながその日暮らしでしたから、正確にはいつから創業なのかって誰もわからないんですよ。でも謎めいていることもまたロマンでいいでしょ(笑)?

ー源四郎商店という店名の由来は?

〈長妻さん〉初代が源四郎さんとう名の方で紙漉き職人だったのです。四郎とつく名前ですから、おそらく本家の四番目だから仕事は手に職でもつけろ、紙でも漉いとけ、ということで始まったのが由来かと。当初は江戸川橋の神田川で紙を漉いてたそうで、そしてその紙を乾かすのには高台が良いということで店は神楽坂に構えたのかと思います。江戸時代はどこでも土地は取り放題、早いもん勝ち、言ったもん勝ちだったのでしょうね。のどかな時代ですよね。

ちなみに「源四郎」の名はずっと襲名が続いていて、私が襲名すると11代目源四郎になります。襲名だなんて照れ臭いから嫌なんですけど、襲名制度って日本にしかない制度なんですよね。そう思うと襲名しておこうかなと最近思い始めたところです。

ー江戸時代に紙はどんな存在だったのでしょう?

〈長妻さん〉江戸時代に紙は贅沢な高級品でした。当時は障子張りなども相当なお金がかかりましたし、読み書きができる人も多くはなかったので、ごく一部のお金持ちの勉強ができる人だけが触れるものだったのです。なので我々は武家屋敷やお寺に和紙を納めたり、和紙問屋として宮内庁にも出入りしていました。

原稿用紙の誕生は偶然の産物

ー相馬屋さんといえば日本で一番最初に原稿用紙を作ったお店、そして文豪たちに愛された原稿用紙で有名です。そのあたりのエピソードと想いをお聞かせください。

〈長妻さん〉うちは最初に紙漉きから始まって、江戸城に納品する紙問屋になり、明治時代に印刷技術が生まれたころには、宮内庁に和紙と西洋紙の両方を納めていました。両方の紙をまだ使う時代でしたので。今でこそ西洋紙もサイズごとに断裁されていますが、当時はまだ使う人が限られていましたからオーダーを受けてからロールから断裁していたのです。それであるとき丁稚(でっち)さんが、裁断を間違えちゃって、店主さんに怒られちゃうどうしよう、と裁断間違いした紙を店の前に置いてたんですよ。それを見た文豪の尾崎紅葉さんが「これにマス目を入れてみたら?」と提案してくださって。それじゃ作ってみようかと。本当にそんな咄嗟のハプニングから生まれたのが西洋紙の原稿用紙なんですよ。

ーそれが日本で初めての原稿用紙になったわけですね?

〈長妻さん〉そうなんです。特許のような版権をとっていれば今頃は億万長者だったのですけどね(笑)。でも本来、文房具っていうのは全面に出るものではなく、仕事や勉強のサポートをするものだって考えがご先祖にあったんじゃないかな。よってそのような権利は取らずに今に至ります。きっとまぁこれで良かったんですよ(笑)。

日本語が必要とするマス目文化

ー原稿用紙をはじめとする紙文化への思い入れはありますか。

〈長妻さん〉マス目の文化、というのは実は日本にしかないんです。中国語は漢字だけなのでバランスよく書けるそうなんです、韓国語もハングル文字なので並びが統一される、ヨーロッパの言語も横線だけで書ける。そこにきて日本語は漢字・ひらがな・カタカナ、とミックスされた文字なので書くバランスが取りづらい言語なのですよね。数年前に、北京大学の先生から突然電話がかかってきまして、何やらマス目の文化を研究をしている、と。そしてそのルーツは相馬屋にあると。5000年の歴史の中国に認めてもらったのはちょっと嬉しかったですね(笑)。

あとは、印刷技術の面からもマス目は必要だったのかと。明治時代初期に活版印刷が導入されたので、まだ印刷技術がそんなに発達していなく、本にする時にもマス目が必要だったはずです。1ページで100マスとして、印刷屋さんに活字拾うのに何マスでおいくらですか?ってカウントするような時代だったかと。

原稿用紙、これからの存在意義

ー手書き離れが進んでいる今、原稿用紙の価値は変化するのでしょうか?

〈長妻さん〉残念ながら原稿用紙はこれから使われる方は少なくなると思います。子供たちもタブレット、先生の黒板も電子黒板、となんでもデジタル化していきます。でも私は「書くことの良さ」は永遠に消えないと信じています。手書きは一点ものですから。たとえば、出版社の編集者さんでも、この作家先生の文字を読めるのは俺しかいない、なんていう文化はかけがえのない財産ですよね。

そしてひとつ私が懸念していることは、今みたいになんでも文字がパソコンで自動変換されちゃうと、新しい言葉が生まれないのでは?ということです。手書きで書いた雰囲気で当て字にしよう、とか、汚く書いたらたまたまこう読めちゃった、なんていう偶然の産物が昔はあったんですよ、そういうことが今は起こり得ないのかなと思うと少し寂しいですね。

恩・義理を忘れない。それが商売。

相馬屋の原稿用紙は全部で9種類。大きさ2種類、色3色の展開です。

ー最後に社訓や350年間受け継がれていることなどありましたら教えてください。

〈長妻さん〉社訓になるかどうかわからないけど「恩・義理を大切に」ですかね。自分一人でこの店が成り立ってるわけではない、という想いは引き継いでいますね。江戸時代から今日までこんなに長く商売をやれてきたということは何か秘訣があると思うんです。これからもご先祖の想いを大切に受け継いでいきたいですね。

とっておきの秘密が、、牛込城の石垣跡が店裏に残ってるんです。(牛込城跡地の話)
※通常、お見せすることはできないとのことです

ーこちらは今回の取材のために特別に公開していただいた場所で、神楽坂の歴史を感じることができる貴重なものとなります。

「文房具は主役じゃなく脇役。前にですぎてはいけない。」
さらりと言われた11代目店主の言葉です。なんと清廉で慎ましやかなさまでしょうか。
ここに350年以上続く、老舗文房具店の奥妙な哲学が宿っているような気がした東京平版でした。

次回は「相馬屋源四郎商店」長妻さんからご紹介いただき
「かぐら坂 志満金」加藤専務へバトンをつなぎます。
創業150年の老舗ならではのお話など、今から取材が楽しみです! ご期待ください。

相馬屋源四郎商店

東京都新宿区神楽坂5丁目5
電話: 03-3260-2345
URL:http://www.soumaya.co.jp/

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