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細工町の由来って?

前回の町名の由来について、とっても評判が良かったので・・・
今回もこのネタでいきますね。

関東大震災等で区画整理が行われ、住居表示に関する法律ができました。そこで、歴史的に町名が失われました。しかし、地名保存が急速に高まり牛込地域では多くの町名が残されてます。弊社の近隣では、徳川幕府の役職名がそのまま町名の由来となっている。

細工町【さいくまち】
古くは牛込村の農地だったが、江戸初期には天龍寺の境内の一部だった。
天和3年(1683年)の火事で天龍寺が四谷に移転した後、旧境内の一部を御細工同心が
拝領し、町屋敷となった。御細工とは、江戸城内の建物や道具を制作したり、修理したりする幕府の役職名だった。

納戸町・払方町【なんどまち】【はらいかたまち】
古くは天龍寺の境内だったが、町屋敷とし、寛永14年(1637年)御納戸払方同心が拝領したため、この名がついた。
御納戸とは金銀や衣服、調度品など将軍の財産の出納や、大名・旗本からの献上品、また将軍からの下賜品を扱う役人のことで、払方は
下賜品を扱う役職名だった。

袋町【ふくろまち】
旧町である肴町にあった藁店横町の奥に位置し,袋小路になっていたことから、牛込袋町と呼ばれたのが始まり。その後肴町から分かれて独立した町となった。藁店横町の名のとおり藁を売る店があったという。町内にある光照寺周辺は、家康入国以前は、ここから赤坂、日比谷あたりまでを領地としてた牛込氏の城跡でもある。

神楽坂界隈は、江戸の武家地名が今に生きている重要な地域であり、旗本屋敷や御家人が住んでいたため、その役職名を地名にしている。
頭に敬称の「御」が付けられ,御簞笥町・御細工町・御納戸町・御払方町などは、「まち」で呼ぶのが正しい町名だそうです。
「御」とは、徳川将軍家のことであります。

このように、「まち」と呼ぶか「ちょう」と呼ぶかでこんなにも違いがあるとは、知りませんでした。
弊社の住所は、たんすまち8番地です。全社員も間違えないようにしなくては(笑)

最後になりましたが、今年一年本当にありがとうございました。
また、来年も東京平版をより多くの方に知って頂けるよう頑張ります!!

★皆様にとって、素敵な2012年になりますように★

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